細草書林

「疑に三種あり、一には自らを疑ひ、二には師を疑ひ、三には法を疑ふ」(日寛上人『寿量品談義』)

『寿量品談義』:円仏果成の相(日寛上人御指南)

(底本:山喜房仏書林版『富士宗学要集』第十巻)

第四に円仏果成の相とは


玄に云はく「あるひは言はく、道場虚空をもって座となし、一成一切成とは毘盧遮那の一切処に遍するなり。舎那釈迦成、また一切処に遍し、三仏具足して欠減あること無く、三仏相即して一異あること無けん。法華八万、一々の方におのおの四百万億那由他国土に釈迦を安置す、ことごとくこれ遮那・普賢なり。いはく、釈迦牟尼の毘盧遮那と名づく、これすなわち円仏果成の相なり」已上。

 

虚空為座とは


竹にいはく「華厳のごとし」云云。玄私の7‐25にいはく「新経いはく、その師子座、七宝華をもって台となす。世尊の座処、虚空のごとく一切処に遍す。また仏いはく、師子座の量、法界に同じ」已上。しからば、円教の意は、一塵の法界に徧するを明かす、ゆえに道場の師子座、ただちに虚空を座と為すなり。大虚を名づけて座となすと謂(い)ふにはあらざるなり。師子座とは獅子の形にはあらず。仏は人中の師子なるゆへに仏の座をしか云ふなり。補註の五‐十一、大論を引くなり。

 

一成一切成とは


后日大論の7‐13、「甫註所引」云云。これ相い具するなり、往ひて見よ。記の6‐28に同じ。
文私の6‐14、「若し別教の機は報・応はおのおの別なり。若し円教は三身を一体と明かす。樹下を指して即、法身の成となし、これまた報・応の成となすなり」已上。

意にいはく、一成とは樹下の釈迦を指す。すなわち法身の成となし、またこれ報・応の成となすなり。毘盧遮那等なり。文の9‐21、「法身如来を名づけて毘盧遮那とし、報身如来を盧遮那と名づく、応身如来を釈迦文と名づく」云云。ゆえに知んぬ、三身の一切処に徧することを。

 

問ふ、もししからば「円仏」とは一切処に徧する虚空法界をもって「円仏」と名づくべきや。
答ふ、若し円教の意は、今日出世の釈尊、その体、すなわちこれ虚空法界に徧するなり。また虚空法界はすなはち釈尊と一体なり。

ゆへに記の1の末‐6にいはく「大虚を名づけて円仏となすというにはあらず」已上。

 

問ふ、釈迦丈六、あに法界に遍せんや。
答ふ、玄私の7‐25に云く
「塵、すなはち法界なり、いはんや丈六をや。言うところの『徧する』とは塵を大と成すにはあらず。ただ一塵を点じて、すなはち法界の全体となすなり。一塵の外にさらに余法の有らざるなり。

 

乃至、問うていはく、何ぞ一塵をしてこれ法界全体ならんや。

答ふ、一塵、現にこれ真如、真如は即ち、これ法界の全体なり。

もし一をもってこれを論ずれば、万法は同じくこれ一法界の体、大虚空のごとし。

 もし異をもってこれを論ずれば、万法は一々にこれ法界なり、余の一切の塵、またおのおの法界なること『帝網の珠』のごとく互いに諸珠を現ずるがごとし。

 

乃至、また『徧する』に二つの義あり。
一つには即ち、『狡徧』。一に一切を摂す。尺鏡の内に大虚の像を現ずるがごとし。
二つには『寛広徧』。一切の諸珠、網の一珠の諸珠の中に在るがごとし。

 

これ体に約して論ずるところにして、もし事に約してすなわち『狡徧』を明かさば、方丈の室に数万の座を納むるがごとし。

『寛広徧』とは梵天の丈六仏頂を見ざるがごとし」已上。

 

方丈の室とは


要覧の上-22、「毘耶利城の東北、四里計りに至りて維摩居士の宅あり、示疾の室(へや)あり。遺址は石を畳(かさ)ねてこれを為(な)す。王策躬、手をもって板の縦にこれを重ねるに十篇を得たり、ゆえに方丈と号す」已上。

 

浄名第六不思議品に云く「維摩詰、神力をもって東方三十六恒沙の国土を過ぎ、須弥相国の須弥灯王仏のところに至りて、高さ八万四千由旬の師子座、数・三万三千を結びて、維摩の小室に入りてもろもろの菩薩をして師子座に坐せしむ。時に維摩詰、舎利弗に語らく、『師子座に就け』と。舎利弗の言(もうさ)く『広高にして昇ることあたはず』と。維摩・言(もうさ)く『須弥灯王仏のために礼をなして坐すべし』と。すなわち、新発意の菩薩、および舎利弗等、灯王如来を礼して坐することを得たり」已上。

 

これすなわち、「狡徧」にして一塵に法界を含むるゆへなり。これすなわち、法界に丈六の仏身の徧するなり。

 

梵天丈六の仏頂を見ざるがごとしとは


御書15・書註16-13にまたこの例えあり、弘の1‐中‐72にいはく
「西域記にいはく『昔、婆羅門、一つの竹杖の長さ一丈なるをもって尺(かずとり)となし、仏身を量(はか)らんと欲す。仏身に約さんに、わずかに杖の上、なほ杖量のごときばかりあり、量ってすでに已(おは)らず。地に捽而して去る。その杖、林と成って後、この中に精舎を立てて名づけて『杖林』となす。また、『梵天、その頂を見ざる』とは、梵は色界にあり。かの天より、またいまだかつて世尊の頂相を見ず」已上。

 

応持菩薩、身量を窮めずとは


弘の1・中-72にいはく「仏・成道の後、婆羅奈に遊ぶ。東方よりこれを去ること甚だ遠し。仏あり、思惟華と号す。世界を懐調と名づく。菩薩あり、応持と名づく。来たって仏足を礼す。巡ること、千匝(せんそう:※注記)しおはって、念じて仏身を量(はか)らんと欲す。すなわち、自ら形を変じて高さ三十万里、また仏身を見るに、高さ五百四十三万兆姟(かい)二億里なり。

(※千匝:せんそう。仏様を中心とし、その周囲を千回巡ること)

仏の神力をもって応持、上方百億恒沙世界にいたり往く。界を蓮花荘厳と名づけ、仏を蓮花上と名づく。かの界に至るとも、永く釈尊の頂を見ず。仏身の遠近幾何を知らず。往ひて、かの仏に問ふ。かの仏、答えて言く『さらに恒沙劫を過ぐれども、また釈尊の頂を見ることあたはず。智慧・光明・言辞、ことごとく皆な、かくのごとし』と金剛密迹経に出づ。かくのごときにおいて、なほ見ず、いわんや梵天をや」已上。

 

これ応持すら見ざることを挙げて、いわんや梵天は見ざるとなり。これすなわち「寛広徧」の相なり。

 

丈六の仏身、法界に遍するとはこれなり。このゆへに「毘盧遮那、乃至、また一切処に遍す」と云ふなり。