細草問答抄本記

「しょせん、この世に信じられるなにものもない!」との疑心暗鬼や絶望感を、正宗の師僧・法境へ熱く問い直し、<信心への入り江>としてみませんか?

信仰に反対する人へ:問二.信仰は理性をマヒさせるアヘンのようなものではないか。

(底本:『正しい宗教と信仰』(大日蓮出版発行) p.7)

問二.信仰は理性をマヒさせるアヘンのようなものではないか。


答.「宗教はアヘンである」といったのは、かの有名なマルクスです。

彼は、当時の退廃的なキリスト教の姿を見て、宗教とは人間にとって現実的な矛盾の解決になるものではなく、むしろ現実から目をそむけさせて、仮りに一時的な心の安らぎを与えているに過ぎない、と指摘したのです。

 

宗教の目的地

 

宗教とは、本来「一個の人間がいかに生きるか」というところにその目的があるのです。


しかしながら、過去の宗教の歴史では、むしろ、「宗教のために個人が翻弄(ほんろう)されてきた」というのが事実です。


宗教のために人が翻弄されたときほど、悲惨なことはありません。そこではすべての人間性と理性は(“絶対者”である)神の名のもとに否定され、人間は神の奴隷でしかなかったのです。マルクスが「宗教はアヘンだ」といったのは、このような「暗い、人間性を無視した宗教」を指したものなのです。


キリスト教に限らず、ドグマに拘泥する宗教は、あらゆる面において“絶対者”の言葉に服従することだけを強調して、善良な信徒の理性をマヒさせるのです。


しかしながら、すべての宗教が果たして同様なのでしょうか?

 

決してそうではありません。

 


正しい法義と、根本として信じるべき正しい対境を説き明かし、ひとりひとりの人間の生きる力、つまり「精気」を蘇生させ、力強く人生を切り開き、真に幸せな境界を築く、本来の宗教があります。


それが「仏教」です。

 

本来の宗教とは


なかんずく、現代における、この地球上では、そのような「仏教」とは日蓮大聖人の説き顕された教法、すなわち日蓮正宗に連綿と継承されてきた「三大秘法」のみです。

 

日蓮大聖人は

「御(をん)みやづかい(=仕官・奉公)を法華経とをぼしめせ。『一切世間の治生産業は皆な実相と相い違背せず』」(『檀越某御返事』)と示されています。


すなわち、大聖人は、

仏法とは世間の道徳・常識・社会構造と決してかけ離れたものではない。良識を以て仕事に励み、善き人材となって産業・社会に貢献できるように成長していきなさい

と説かれているのです。


日蓮大聖人の仏法を実践していけば、信心を根本として、世俗的な社会の中に身を置き、政治体制や市場原理等の理不尽さをも乗り越えて、産業・社会の中で活躍できるようになるのです。

 

真実の宗教は、人間の精気を犠牲にしてそぎ落とし、奴隷根性におとしめるものではありません。

 

むしろ、正しい信心で仏様の力を身に受けて、苦難をも克服する強い精気、そして他人の四苦八苦に対し、慈しむ心・悲しむ心を持ち、周囲の状態変化を正しく見定めて臨機応変に対処し、積極的に生きる─これこそが真実の宗教の目的なのです。

 

日蓮正宗の信心の勧め

 

日蓮正宗の信心は、弱い人間が得体の知れない対境を本尊として信仰し、現実逃避して、つかの間の癒やしを求めるものでは決してありません。


アヘンのごとき邪教に惑うことなく、正しい道を求める心を開き、正しい対境、すなわち大良薬である日蓮正宗の御本尊様に帰依し、正しい人生を味わうときにこそ、はつらつとした生き甲斐を見いだすことができるのです。


貴方もその第一歩を踏み出してみませんか。