細草書林

「疑に三種あり、一には自らを疑ひ、二には師を疑ひ、三には法を疑ふ」(日寛上人『寿量品談義』)

『危険な純粋さ』:「序」ベルナール=アンリ・レヴィ

(底本:『危険な純粋さ』1996年12月20日・第1刷(紀伊國屋書店))

 

 

この書を著すきっかけ

 

この書は、サルマン・ラシュディ(注-1)との対話から生まれた。対話を交わしたのは、北ヨーロッパのとある町だった。私たちは初対面だったが、彼は予想に反して、精気と明るさにあふれていた。あの不釣合いに大きな瞳がのぞかれる半月形の眼差し。あの辛口のユーモア。そのときは知る由もなかったが、それは彼の胸中に絶望感が満ち満ちていたことを伝える彼なりの礼儀・作法だったのだ。

 

村八分にされたラシュディは、あの晩、イギリス王室をやり玉にあげて非難した。私たちは、彼の著書や、彼の敬愛する作家、ラブレー、ロレンス、スターンを話題にした。それから、イスラム教それ自体や、勢力を増していく原理主義の波や、三年来続き、新たなステージに移っていた果てしない暴力といったものを話題にした。

 

彼は私に告げて言った。
イスラム教徒は、ヨーロッパに挑んでいるんです。彼らは、ヨーロッパの国々で普遍の価値とされているものを値踏みしているんです。ヨーロッパの普遍的な価値観にどこまで執着できるのかどのようにイスラム教に対して屈伏するのかを試そうとしているんです」と。

 

そして、別れ際に、ある女性ジャーナリストのたっての願いで、厳重な警備のもと、雪の屋外で記念写真を撮った。後日、新聞は「自由の身になったラシュディ」と、なんとも皮肉なタイトルをつけることになる。その撮影のあと、彼はボディーガードに伴われ、北ヨーロッパ独特の、夜の暗闇に戻る前に別れの挨拶の代わりにこう漏らした。


「実は、あなたの国を訪問してみたいと思って、何度か入国申請してみたんです。私はれっきとしたイギリス国籍を持つ市民であるにもかかわらず、出国の権利を行使することができなかったんです」と。

 

それからもう少しあとの1993年、年末も間近だったとき、戦時下のサラエボにおいては、ごく普通といってもいいが、いつもよりはいくぶん暗くて陰鬱だったかも知れない。この書はそんな夜にサラエボで書き上げられた。前日来のドブリーニャ(注-2)の火災だけが唯一の街の灯りとなっていた。いつもより、街自体が熱を帯びていて、私も少し興奮気味だったかも知れない。パトロールの回数はいつもより多く、大統領の官邸を護衛する兵士も妙にピリピリしていた。

 

遠方には砲撃がとどろいていた。それより近くには銃撃音が響き渡り、狙撃兵たちが眠れぬ夜を過ごしていることを告げていた。その夜、私は旧市街のヨーバン・ディヴジャック宅の夕食に招かれていた。彼はボスニア側にとどまったセルビア人の将軍だった。彼は、世俗国家であった、多文化と民主主義のボスニアという夢を追う、数多の人々の一人だった。

 

いつものように私たちは、ありとあらゆる過激派のやりたい放題を許しているヨーロッパの西側の諸国が、介入してこないことの理不尽さを語り合った。

 

それから、ディヴジャックは、帰り際、私を玄関まで見送りに来た。敵に包囲されていて瓦礫の山となり、いつにもましてこの世の終わりを実感させる、サラエボのアパートの敷居に立った。ディヴジャック自身も、また孤独に立ち戻ることを知っていたのだ。別れの言葉はこんなだった。


包囲されているのは先進国としてのヨーロッパ全体なんだ。それがなかなか分かってもらえない。ヨーロッパ全体なんだ。自分たちは、古き良き時代のヨーロッパを護る歩兵の一人に過ぎない」と。

 

この書は、犯罪がはびこり、悪化の一途をたどるアルジェで生まれてもよかった。

 

モスクワでもよかった。私は、元・反体制派の息子、ヴォロディアがロシアに戦火がくすぶっていると説明してくれたのを思い出す。プーシキンの流れをくむ者たちと、ドストエフスキーの流れをくむ者たち、すなわち啓蒙派と新手のコザック兵たちとが激突するだろうと言っていた。

 

この書はダッカで生まれてもよかった。自由を勝ち取り、その反骨精神と文化が世界に好感を与えた、あのバングラデシュで、20年後、狂信家たちのせいで、一女性作家(注-3)が潜伏と、ついには亡命という事態へ追いやられた。

 

この書は、ここパリにおいて、私たちが突入したらしい、【カオスの時代】に産声を上げた。

 

共産主義という非道野蛮、その次にくる新しい世界

 

それにしても、なんという巡り合わせだろう。
私たちは新しい夜明けをめざして出発したはずだった。共産主義という非道野蛮とようやくのことでけりをつけたはずだった。


ところが、いずこをみても騒乱・迫害・消息不明・虐殺ばかりである。
火災がみるみる飛び火していく。
解体がつぎつぎとひろがっている。
こちらで大虐殺があるかと思えば、あちらでも新たな虐殺の兆しがみえる。


セクトが蔓延し、かつてない狂信の熱が沸騰している。
時代の水量が増し、いたるところで決壊して、(まだ形もはっきりしない)ありとあらゆる種類の怪物を押し流していくさまは気味が悪いほどである。

 

ヨーロッパの比較的良好な地域でも、座標軸が消滅し、羅針盤が狂い、記号とモラルが混乱している。


正気を失った世界、というしかない。それも正真正銘の狂気、誠実さをかなぐり捨てて得意然としている世界だ。近頃では、愛国主義ペタン派共和主義的ヴィシー派なるものに慣れておかなければならない始末なのだ。


そして、このような洪水のありさまを前に、なんとも奇妙な国家の責任回避が見られる。それが時代の混乱に輪をかけ、世界から、人間の頭の中から、恒常的なものを失わせている。

 

第一次世界大戦直後の「ワイマール時代」という事例

 

歴史の中に同じような狼狽、民主主義にふりかかったこの動揺の先例を探し求めるなら、私にはただ一つの事例しか思いあたらない。ドイツにおけるナチズム勃興に先立つ、あのワイマール時代だ。


脅威といっても、その性格、展望は―幸いにして!―同一ではないかもしれない。
それに、ワイマール時代の人々は、われわれのように共産主義の崩壊というような天与の機会に恵まれていなかった。

 

しかし【それにしても…】と言わざるを得ない。あの時代には、理性・権利・人間・民主主義の可能性に対し、全幅の信頼があった。
第一次世界大戦によって【時代は最悪のものを体験し、今後はよくなるしかない】という気分があった。


文化と審美の頂点だった。ヨーロッパがあの時代ほど、学識にあふれ、自己おのおのの知に信頼を抱いていた時代はない。あの時代ほど、啓蒙主義が際立った栄光に輝いていた時代はない。ルネサンス以来の、もっとも偉大な精神を持つ幾人かが、あの時代に存在していたのだ。

 

ところが、その彼らが、あるとき気がついたのだ─まさに、ヨーロッパの歴史のなかでも、もっとも人を面くらわせる、謎に満ちた、そしてなによりも身の毛のよだつときだ──、この賛嘆の的の世界、ゲーテの家、寛容と知性の新しい国家、「精神」の首府であるからこそ共和国の首府ともなった、あのワイマールが一匹の怪物を分娩してもいたのだ、という事実に。

 

というのも、同じ世界の下での出来事だったのだ。そのことを彼らはにわかに悟ってしまった。ときには同一の人間でさえあったのだ。同じ乳を飲み、同じ揺り籠に揺られ、ともに育った双生児のようなものだったのだ。ただ、片方の兄弟は、もう一方の兄弟が、その前に立ちはだかる試練の時代がやってくるまで、二人ともその存在を知らなかったのだ。

 

幾人かの者は、アドルノのように、【怪物】を思考のまな板にのせようと努めていた。他の者たちは、フッサール(原注-1)のようにすでに寝返っていた国民に、まだ残っている良心のかけらにすがりつくことを試みた。トーマス・マンは口をつぐんでしまった。

 

だが、何よりも目立った共通の感情は【茫然自失】であり、【わが目を疑う驚き】であった。近づいてくるもののおぞましさと、それ以前の時代とはほとんど何のつながりもない、新しい時代特有の、疑いようもない非道野蛮さを目の前にして【自分】というものを失ってしまったのだ。

 

そして、その次に味わったものは、ちょうど今日の世界に似ている、なに一つ予見できなかったことからくる【憂鬱と恥辱】であった。

 

21世紀の世界への展望と、この書のテーマ

 

21世紀以後の世界はどんな非道野蛮にうなされるのだろうか。なぜ、今ここでそれが問題になるのだろうか。ちょうどワイマール時代と同じように、民主主義、人道主義、人権への熱烈な愛を誇示してはばからない時代に身をおき、どうしてそれらが共存し得るのだろうか。

 

間違いなく(ワイマール時代と)同じような時代相になっていくのだろうか。ラシュディが社会的に抹殺され、アルジェリアが火だるまになり、タスリマ・ナスリン(注-4)が追放されてしまうようなこの地球世界は、たしかに歴史の終焉をものがたる者が私たちに予言している地球世界なのだろうか。

 

ベルリンの壁の崩壊のあと、何が起きてしまったかを正確に把握できる者がいたのだろうか。東側ブロック圏の崩壊と解体のあと、何が起きているのだろうか。

 

この書の根源にある問いは、実にここにあるのである。ただし、他にも新しい問いがつぎつぎと息つく暇もなく想起されてくるのだが。

 

これらの、新しい時代の非道野蛮な出来事に共通するものは何なのだろうか。種々雑多な災厄を織りこんでくるシナリオ、つまり機織りの技術になぞらえる意味での【織り目】はどのようなものなのか。

 

新しい時代相のなかで、出来してきていることは本当の意味で目新しいことなのか。

 

それとも1930年代の怪物が復活してきているのだろうか。あるいは、あの怪物と瓜二つという点だけで、本当のところは【前代未聞の怪物】といった方が正しいのだろうか。

 

顕れてきた【怪物】は、政治哲学・社会哲学において分類済みの既知の«怪物»なのだろうか。それとも、新種の【モンスター】なのだろうか。

 

新しい混乱は一時的にすぎないのか、それとも継続的に続いていく事態なのだろうか。あるいは一つの【通過地点】にすぎないのだろうか。

 

【新しい世界秩序】が始まろうとしているのか。それとも【これまでの世界秩序】が幕を閉じようとしているのか。本当に洪水であるのなら、【いずれ元の穏やかな河の流れに戻る水流】のはずである。それとも、二度と戻ることのない、【はるかに規模が大きい濁流】なのだろうか。

 

また、別の観点に立つと、次のような問いが立てられる。たぶん、これこそが決定的なこの書の問いなのだが、
「濁流を止めるにはどうしたらいいのか」
「濁流は私たちに手なずけ得ることなのか」
「最終的に濁流をせき止めることができるとしたら、それはどのような経過をたどり、どのようなゴールをめざすのか」
「だれのための経過とゴールなのか」
「ヨーロッパという共同体には、そして、その一員であるわれわれには、この濁流に対し、何かを投げかける言葉はないのか」
「ふたたび1930年代の時代と同じく、啓蒙主義は過去の遺物となってしまったのか」
「濁流の規模を計る余裕もなく、新しい時代はすでに深夜零時を過ぎ去ってしまったのか」

 

私が、これらの問い、特に最後の「新しい時代は新しい夜明けに向かいつつあるのか」という問いをなげかけるのは、私は【まだ手遅れだとあきらめて、逃げ出したくはないから】である。

 

新しい世紀をどのように迎えるべきか

 

たしかに、【黒い影】は規模を増大させていくばかりで、旧い時代の崩壊は早まるばかりではある。この書が完成しようとしている今・現在、ロシアは分裂しかけていて、ルワンダは生き残った者の人口を数えている。サルマン・ラシュディはようやくパリに来たった。だが、彼はそれで何か得られるものがあったのか。

 

ボスニアの惨状は、最後から二番目の攻撃が開始されようとしている(注-5)。今は、戦禍の照準は、人の魂を打ち砕くことに合わせられている。攻撃が成功すれば、ヨーバン・ディヴジャクの夢はついに灰塵と化すだろう。

 

にもかかわらず、私は、いまこそ、緊急事態が起きていることに気がついて、冷静さを取り戻し、混乱を正面から見すえてくれるなら、新しい独裁者の出現に手を打つことができると確信している。

 

注-1)著書『悪魔の詩』がイスラム教を冒涜したとして、1989年、イランの聖職者である、故ホメイニ師からフォトワ(死刑宣告)を受けた。

注-2)サラエボ市内でも、もっとも激しい砲撃をうけた地域。

注-3)タスリマ・ナスリンのこと。

注-4)バングラデシュの女性作家。小説『ラッジャ(恥)』(1993年・刊)がイスラム教を冒涜するものだとして、フォトワを宣告された。1994年夏、イスラム教徒のデモ隊が連日、自宅に押しかけるようになり、政府も逮捕状を発行したため、スウェーデンに亡命することとなった。

注-5)1994年の秋、ビハチ地方がセルビア人に包囲され、陥落寸前と言われていたが、ボスニアの頑強な奮戦により、持ちこたえた。この後、ボスニアはセルビアに対し、反撃していくこととなる。

原注-1)フッサール、1935年5月、ウィーン文化会館での講演。『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』所収〔細川恒夫・木田元(訳)、中央公論社、1974年〕。