細草論壇

「疑に三種あり、一には自らを疑ひ、二には師を疑ひ、三には法を疑ふ」(『摩訶止観』)

『那先比丘経』:第一編第一章・第三問「対話を成立させる基盤」

(底本:『ミリンダ王の問い─インドとギリシアの対決(平凡社・東洋文庫7 中村元・早島鏡正 共訳)』第1巻 p.76)

 

第三問「対話を成立させる基盤」

王は問う、「尊者ナーガセーナよ、わたしとともに<復た再び>対論しましょう」と。
ナーガセーナは答える。「いいでしょう。王よ、もしあなたが<智者の作法>を以て対論なさるのならば、わたしはあなたと対論させていただきたく存じます。しかし<国王というものは>多くの場合、<王者の作法>を以て対論するのです。わたしはあなたと対論しないでしょう」と。

 

(投稿者注記:『那先比丘経』原文
「もし王にして<智者の問い>をなさば、能く王に相い答えん。されど<王者の問い>・<愚者の問い>をなさば、能く相い答えず」)

 

王は問う、「尊者ナーガセーナよ、<智者の作法>とは何でしょうか」と。
ナーガセーナは答える。「王よ、対論においては、解明・解説がなされ、批判がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かい区別がなされることとなりますが、<智者の作法>を以てする対論において智者は決して怒ることがありません。王よ、<智者の作法>とは実にこのようなものなのです」と。

 

(投稿者注記:『那先比丘経』原文
「<智者の語>とは、対して相い詰し、相い上語し、相い下語し、語に勝負あらば、すなわち自ら(問答・対決の)勝敗を知る。これを<智者の語>となす」)

 

王は問う、「尊者よ、それでは<王者の作法>とは何でしょうか」と。
ナーガセーナは答う、「実に、多くの国王というものは対論において、一つの結論のみを主張し、もし相手がその結論にしたがわないときは『この者に処分を加えよ』と命じ、対論の相手に対して処罰を命令するのです。王よ、<王者の作法>とは実にこのように、対論の基盤そのものをひっくり返してしまうのです」と。

 

(投稿者注記:『那先比丘経』原文
「<王者の語>とは、自ら放恣にして、敢えて違い戻ることあり、王の言のごとくならざる者は、王すなわち強いてこれを誅罰す。これを<王者の語>となす。<愚者の語>とは、語・長くなるとも、自ら(その意を)知ること能わず語・短くなるとも自ら知ること能わず、龍悷自ら用いて勝を得るのみ。これを<愚者の語>となす」)

 

王は意を決し、「尊者ナーガセーナよ、わたしは国王という立場ではなく、智慧の明朗さを希(のぞ)む者として<智者の作法>をもって対論しましょう。決して<王者の作法>を以て対論するつもりはありません。尊者よ、わたしの対論の目的は、一つの結論に拘泥することではなく、あなたを処罰にかけることでもありません。尊者が、比丘や沙弥と、あるいは在家の信徒と、あるいは在家の寺男と対論なさるようにしていただきたい」と。

 

ナーガセーナはミリンダ王の決意に応じて言われた。「王よ、いいでしょう。これで対論の準備が整いました」と。

 

王は言った。「尊者ナーガセーナよ、わたしから質問しましょう」と。
ナーガセーナは答えた。「王よ、いいでしょう。ぜひ質問していただきたい」と。

王は言った。「尊者よ、すでにわたしからあなたに問いを投げたのですよ?」と。
ナーガセーナも答えた。「王よ、あなたはすでにわたしから答えを返されたのですよ?」と。

王は言った。「尊者よ、もしそうであるのなら、あなたは何をお答えになったのですか?」と。
ナーガセーナも答えた。「王よ、もし問いが立てられたというのなら、あなたは何を問われたのですか?」と。