細草問答抄本記

「しょせん、この世に信じられるなにものもない!」との疑心暗鬼や絶望感を、正宗の師僧・法境へ熱く問い直し、<信心への入り江>としてみませんか?

宗祖『曾谷殿御返事(抜粋)』(故事「輪陀王、外道を対治し、仏法を立てて王威を取り戻すこと」)

(底本:『平成新編・日蓮大聖人御書』p.1381)


法華経はいかなるゆへぞ、諸経に勝れて一切衆生のために用ふることなるぞと申すに、たとえば草木は大地を母とし、虚空を父とし、甘雨を食(じき)とし、風を魂とし、日月を乳母(めのと)として生長し、華さき菓(このみ)なるがごとく、一切衆生は実相を大地とし、無相を虚空とし、一乗を甘雨とし、已・今・当第一の言を大風とし、定・慧・力・荘厳を日月として妙覚の功徳を生長し、大慈大悲の華を咲かせ、安楽仏果の菓(このみ)なって一切衆生を養ひたもう。

 

一切衆生、また食するによりて寿命を持つ。食に多数あり。土を食し・水を食し・火を食し・風を食する衆生もあり。求羅(ぐら)と申す虫は風を食す。ウグロモチと申す虫は土を食す。人の皮・肉・骨・髄等を食する鬼神もあり、尿・糞等を食する鬼神もあり、寿命を食する鬼神もあり、声を食する鬼神もあり、石を食する魚、鉄(くろがね)を食する獏(バク)もあり。

 

地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵王・二乗・菩薩・仏は仏法をなめて身とし魂としたまふ。

 

例せば、むかし・過去に輪陀王(りんだおう)と申す大王ましましき。一閻浮提の主なり、賢人なり。この王はなに物をか供御(くご)としたもうかと申せば、白馬の鳴く声を聞こしめして身も生長し、身心も安穏にして代(よ)をたもちたもふ。例せばカエルと申す虫の母のなく声を聞きて生長するがごとし。秋の萩(ハギ)の、鹿の鳴くに華の咲くがごとし。象牙草の雷(いかづち)の声に孕み、ザクロの石にあふて栄ふるがごとし。

 

さればこの王、白馬を多くあつめて飼はせたもふ。またこの白馬は、白鳥を見て鳴く馬なれば、多くの白鳥をあつめたまひしかば、我が身の安穏なるのみならず、百官万乗も栄へ、天下も風雨・時にしたがひ、他国も頭(こうべ)を傾けて、数年過ごしたもふに、まつり事の相違にや侍(はべ)りけん、また宿業によって果報や尽きにけん、千万の白鳥・一時に失せしかば、また無量の白馬も鳴くこと・やみぬ。

 

大王は白馬の声を聞かざりしゆへに、華のしぼめるがごとく、月の蝕するがごとく、御身の色・変わり、力・弱く、六根・䑃䑃(もうもう)として、耄(ぼ)れたるがごとくありしかば、后も䑃䑃しくならせたまひ、百官万乗もいかんがせんと嘆き、天(そら)もくもり、地もふるひ、大風・旱魃(かんばつ)し、飢渇・疫病に人の死すること、肉は塚、骨は河原と見へしかば、他国よりも襲ひ来たれり。

 

このとき、大王「いかんがせん」と嘆きたまひしほどに、詮ずるところは
「仏神に祈るには如(し)くべからず。この国にもとより外道多く、国々をふさげり。また仏法という物を多く崇めおきて国の大事とす。いづれにてもあれ、白鳥をいだして白馬を鳴かせん法を崇むべし」と。

 

まづ外道の法に仰せつけて数日・行なはせけれども、白鳥・一疋(いっぴき)も出でこず、白馬もなくことなし。このとき、外道の祈りを止めて仏教に仰せつけられけり。

 

そのとき、馬鳴菩薩と申す小僧(しょうそう)一人あり。召し出だされければ、この僧・のたまはく、
「国中に外道の邪法をとどめて、仏法を弘通したまふべくば、馬を鳴かせんこと易し」といふ。勅宣にいはく、仰せのごとくなるべし、と。

 

そのとき、馬鳴菩薩、三世十方の仏に祈請し申せしかば、たちまちに白鳥・出来せり。白馬は白鳥を見て・一声鳴きけり。大王・馬の声を一声聞こしめして眼を開きたまひ、白鳥二疋・ないし・百千出できたりければ、百千の白馬一時に悦びなきけり。

 

大王の御色・治ること、日蝕の、本(もと)に復するがごとし。身の力、心のはかり事、先々には百千万倍超へたり。后もよろこび、大臣・公卿勇みて、万民もたな心を合はせ、他国も頭を傾けたりと見へて候。