細草問答抄本記

「しょせん、この世に信じられるなにものもない!」との疑心暗鬼や絶望感を、正宗の師僧・法境へ熱く問い直し、<信心への入り江>としてみませんか?

帯刀杖による正法護持の化儀(日有上人『化儀抄』第二十二条、第九十二条、および日亨上人『同・註解』)

(底本:『富士宗学要集・第一巻』)

 

『有師化儀抄』第二十二条、第九十二条

(p.63)

第二十二条

出仕のときは太刀を一つ中間に持たすべし、折伏修行の化儀なるがゆへなり。ただし礼盤に登るとき、御霊供へ参るときは刀を脱いて傍らに置くべきなり。


(p.73)

第九十二条

釈迦の末法なるがゆへに在世正像の摂受行はしかるべからず。一向折伏の行なるべし。世・険なるゆへなり云云。よって刀杖を帯するをもこれを難ずべからず云云。

 


『有師化儀抄註解』

(p.133)

類文。

『物語抄』第四十二段にいはく、「また重須にて日興上人・御弟子の出家をご折檻有りければ太刀を抜いて日興上人を害し申さんとす、そのとき、日妙上人・御前に居相ひたまふ、

『浅猿や、貴辺が刀にて然るべからず。此の刀にて害し申せ』とて日妙、彼が刀を抜いて投げやり給へば、それを取らんとする境に日妙くみたもふて引き出したまふとなり」云云。


◯註解

「釈迦の末法」とは当時は末法なり、宗祖大聖は末法相応の大法を弘むべく出現したまふ、ただし殊更に「釈迦の末法」といへるは、あるひは【釈迦仏の教域の上には末法なれども、下種仏・蓮祖の御大法の上には正法の始めなり】といふ意を含めたまへるものか。


「在世正像の摂受の行」等とは『開目抄・下・末』の御妙判のごとし。「世険」とは険とは平に反す、土地の険岨にして歩行に困難なる事に、人情の冷熱反覆極りなく何に向っても安心のできぬ油断のならぬ事に、「険」の字を使用せり、険悪・陰険の如きもの。

 

「よって刀杖を帯するをも離すべからず」とは源平時代より足利時代までは兵乱相ひ続き、いたるところに山盗あり野武士あり、動もすれば白昼をも厭はず強盗・劫掠をなすゆへに、万民自衛の為に太刀を佩き弓箭を負ふ。


北条時頼の時に屡令を下して武門にあらざる土民の兵箭を帯ぶるを禁ぜしといふ。しかれどもその令・あまねくは行はれざるか。僧分のごときも【戒刀】と唱へて公にこれを帯ぶる風を生ぜり。


ただし法要厳儀のときの上首にはこの風なけれども、南都・北嶺の大衆は源平以前にすでに帯刀の風ありてもって【正法護持】と称せり。宗門にも宗祖・開山時代、この風あり。史実は所引【類文】の重須の事の如し。なほ、本山に【宗祖・開山の御所用】とて二尺一寸と二尺六寸九分との太刀を蔵す、房州妙本寺には【宗祖小松原の法難に東条景信の毒刃を防ぎ給ひし太刀】なるものを蔵す、ただしいずれも戒刀的・護持正法・活人剣なるべし。


宗開両祖時代は国家少康にしても、なほもってしかり、有師はときあたかも応仁の大乱前後にあり、富士郡辺の如きも地頭の交迭頻繁といひ無力といひ、安して官権の保護に依ることを得ず、戒禁忍辱の法山に無残の刀剣・弓杖を備へて自ら劫掠・非違を防がざるべからず。


仏勅の【折伏の弓箭鉾槊は在家の護法にあり】との定規をもって、「この乱国の出家の帯刀杖を難ずべからず」と念諭し給ふものなりといへども、汎爾に末法中なればいかなる平安の時代にも“正法護持”などと唱へて武器を挟む等の非儀あるべからざるは勿論のことなり。


「出仕の時」とは勤行法要のために御堂または客殿等に出づるをいふ。現に本山にても客殿前より御堂に通う道を【出仕道】といひ、法主の出座を告ぐるに太鼓を打って【出仕太鼓】といふ。

 


「中間」とは『貞丈雑記』にも中間・小者・輿かき等といひて【下人】の事なり、有師時代には、方丈に中間ありしと見ゆ。


「礼盤に登る時・御霊供へ参る時」等とは「礼盤」とは導師の高き座席なり。「御霊供」とは御影供等の仏前に献膳するなり。このときは刀を抜き取りて自らの傍らに置く、これは小刀なり。前の太刀の中間に捧持せしめ、小刀は常に腰に帯する風なり。【類文】の重須の時も小刀なりと知るべし。