細草書林

「疑に三種あり、一には自らを疑ひ、二には師を疑ひ、三には法を疑ふ」(日寛上人『寿量品談義』)

日顯上人猊下ご自身の「臨終の相への大覚」の文証

何度もお伝えいたしますが、去る令和元年9月20日、日蓮正宗の前代の法主・管長であられた、御隠尊・第67世日顯上人猊下が御遷化あそばされました。

 

日蓮正宗にとって、正信会の破門・擯斥、創価学会の破門・池田大作等の除名を決定された重大な方、また、将来、“中興の祖”とも評価されるであろう宗学の整備に努められた方であり、僧俗の悲しみは尽きません。

 

しかしながら、密葬に際して

「所属の寺院名を受付で伝えれば(※)正宗信徒は誰でも参列できる」

という、特別とも言える体制が敷かれることになり、多くの日蓮正宗信徒が猊下の御臨終の妙相を拝する好機を得られることとなりました。

(※初出時に「記入すれば」としていましたが、「口頭で伝えれば」ということだったようです。訂正いたします。) 

 

私は残念ながら、金銭的な準備がなく、密葬に参列できなかったのですが、御遷化の数日後、「宗教法人・顕正会」の千葉会館にほど近い、JR東日本の内房線本千葉駅前において、猊下の御臨終の妙相を証拠として
「創価学会のみなさん、顕正会のみなさん、もうすでに日蓮正宗と創価学会、日蓮正宗と顕正会、どちらが邪説を唱える謗法の教団であるか、すでに決着がついたのですよ!」
と声を大にして訴えました。

 

そうしたら、翌日、私の脳裏に四六時中、「色白く・柔らかく」の証拠をお示しになられた上、結跏趺坐して「当体蓮華」の一茎を口に含んでおられる御隠尊猊下のイメージが浮かんで離れず、歓喜・法悦で胸がいっぱいになりました。

 

さて、創価学会・顕正会・正信会や、保田妙本寺、身延派等の「宗外」のみなさんに私がお伝えしたいことがあります。

 

それは「御隠尊猊下が、とある形で、臨終の相についてすでに3年も前にさらっと大覚をお述べになっていた」という歴然とした事実です。

 

平成27年7月16日に初版発行の、

『日蓮大聖人御金言義類別入文集』

という、大聖人様の御妙判の抜書きを集めた御金言集を、御隠尊猊下が、ご自身の名前で著されているのです。

 

この御文献は項目別に御金言の抜書きがまとめられているのですが、なんと、その中に
「(七八)臨終の相」
という項目があるのです。

 

全文を下記に掲載いたします。(今回は底本通りの引用となります)

御妙判の抜書きの冒頭のアラビア数字は、この御金言集のすべての御金言に割り振られた、通しの番号になります。

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(該当書 p.376)
1049 人死して後、色の黒きは地獄の業(ごう)と定むる事は仏陀(ぶっだ)の金言ぞかし。善無畏(ぜんむい)三蔵の地獄の業はなに事ぞ。幼少にして位を捨てぬ。第一の道心なり。月氏(がっし)五十余箇国を修行せり。慈悲の余りに漢土にわたれり。天竺・震旦(しんだん)・日本・一閻浮提(いちえんぶだい)の内に真言を伝え鈴をふ(振)る、この人の功徳にあらずや。いかにとして地獄には堕ちけると後生ををも(思)はん人々は御尋ねあるべし。
〔報恩抄[建治二年七月二一日・五五歳]一〇二三ページ〕

 

1050 世の中ものう(憂)からん時も今生(こんじょう)の苦(く)さへかなしし。況(ま)してや来世の苦をやと思(おぼ)し食(め)しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦(よろこ)ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山(りょうぜん)浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ。妙覚の山に走り登りて四方をきっと(屹度)見るならば、あら面白や法界寂光土にして瑠璃(るり)を以て地とし、金(こがね)の縄を以て八つの道を界(さか)へり。天(そら)より四種の花ふり、虚空に音楽聞こへて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽(ごらくけらく)し給ふぞや。
〔松野殿御返事(十四誹謗抄)[建治二年一二月九日・五五歳]一〇五一〜二ページ〕

 

(該当書 p.377)

1051 夫(それ)以(おもん)みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚(なお)譬(たと)へにあらず。かしこ(賢)きも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先(ま)づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし
〔妙法尼御前御返事[弘安元年七月一四日・五七歳]一四八二ページ〕

 

1052 黒漆(くろうるし)に白き物を入れぬれば白色となる。女人の御罪は漆の如し、南無妙法蓮華経の文字は白き物の如し。人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し。善人は設(たと)ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟(やわ)らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し。
〔千日尼御前御返事(青鳧書)[弘安元年閏一〇月一九日・五七歳]一二九〇ページ〕

 

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引用は以上の通りです。

畏れ多い言い方となりますが、もし、猊下がこの時、ご自身の臨終について大覚がなければこの「臨終の相」という項目をわざわざこの御金言集の中にもうけられるでしょうか。

 

御本仏宗祖大聖人のたまはく、

「聖人と申すは委細に三世を知るを聖人といふ」(『聖人知三世事』:『平成新編』p.748)と。

またのたまはく、

「代々の聖人、ことごとく日蓮なりと申す意なり」(『御本尊七箇之相承』:『日蓮正宗聖典』p.379)と。

またのたまはく、

「ただし直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興をもって総貫主となし、日蓮が正義(しょうぎ)ことごとく以って毛頭ほどもこれを残さず、ことごとく付嘱せしめ畢(おは)んぬ。上首已下ならびに末弟等、異論なく尽未来際にいたるまで、予が存日のごとく、日興が嫡々(ちゃくちゃく)付法の上人をもって総貫主とあおぐべき者なり」(『百六箇抄』:『平成新編』p.1702)と。

 

この御金言集には他にも

「(七)戒壇」 :『教行証御書』『三大秘法抄』

「(五三)諫暁」:『撰時抄』『報恩抄』『種種御振舞御書』『兵衛志殿御返事』『御義口伝下』『御講聞書』

などの項目があり、

たとえば、顕正会員が口にする、

「宗門は戒壇建立の御遺命をなげうってしまった」とか、

「国家・国主に対する諌暁の資格は宗門にはもうない」とか、

「阿部日顕・前管長よりも浅井センセーの方が未来を見通す“聖人”としての徳を具えている」とかの妄想・妄言を打ち砕く威力を持っています。 

 

この御金言集はもしかしたら、私の知っている範囲内での一例に過ぎないかもしれません。

それでも、ホントに、「宗外」の人たちにはよ〜く、考えていただきたいのです。