細草書林

「疑に三種あり、一には自らを疑ひ、二には師を疑ひ、三には法を疑ふ」(日寛上人『寿量品談義』)

『鹿野苑の王さま(上)』・「釈迦菩薩の賭け」(通釈第一部)

古代インドに、ハラナイという国がありました。
あるとき、ハラナイ国の王さまは家来たちをひきいて、山に狩猟に行きました。

山に入ってすぐに、王さまと家来たちはその数、一千匹くらいの鹿の大群を発見。

王さまは多少、昂奮してしまいました。

群れは二つに分かれていて、それぞれの群れに一匹のボスがいます。

そのとき、王さまは知りませんでしたが、
一方の群れのボスは、のちに仏となる、釈迦菩薩の生まれ変わりであり、
一方の群れのボスは、のちに仏道修行を退転し、お釈迦さまに敵対し「五逆罪」を作った、提婆達多の生まれ変わりでした。

 

釈迦菩薩は、鹿の身に生まれてはいましたが、身に七宝の色をまとっており、見るからに不思議な威厳をそなえ、また菩薩としての本心を少しも見失っていませんでした。

 

雄ジカ(釈迦菩薩)は、王さまと、その家来たちが、鹿の群れを追いかけ、狩に興じているのを見て、悲しい思いが強くこみ上げてくるのをおさえきれませんでした。
(王さまは、まるでスポーツのように狩猟を楽しんでいる。このままでは王さま自身も殺生の罪を負う。そして、今日のような狩りがあるたびに、群れの鹿は殺されていくだろう。)

 

雄ジカは、ひるむことなく、王さまのもとへと駆けよっていきました。

王さまと家来たちは、この雄ジカ(釈迦菩薩)を見て、われ先に雨のように矢を射かけました。

が、矢は一つも雄ジカの身には当たりません。

王さまは、この不思議な雄ジカが、矢面に悠然と進み出てくるのを見て、ただならぬ状況を察知しました。

 

家老の制止を振り切ってみずから大声を出した王さまは、家来たちに弓を止めさせました。

雄ジカ(釈迦菩薩)は、面前にひざまずき、人の言葉を発して、王さまに申し上げました。
「王さま、みずからの欲望に任せて狩りをなさるのは楽しいことかも知れませんが、私たち鹿にとって、狩りは死の苦痛と恐怖を味わわさせられることにほかなりません。」

雄ジカが人の言葉を発したことに、王さまと家来たちはさらに驚きました。

王さまは思いました。
(この雄ジカは、ただの鹿ではない、ヴィシュヌ神の化身か、何かなのか?!)

王さまは雄ジカにたずねました。
「そなたは、何ものなのか。見た目といい、人の言葉を話すことといい、不思議なことばかり。余には、そなたが単なる雄ジカであるようには思えないのだが。」

雄ジカは、王さまに答えて、
「私は、この林に住む、鹿の群れのボスの片われです。」
とだけ答えました。

釈迦菩薩は、おぼろげな確信のもとに巧妙にある賭けを打ったのでした。
(王さまに、正当なハラナイ国王としての資格があるなら、私や提婆達多と同じように、菩薩の生まれ変わりとしての過去世があるはず…。もし、この提案が蹴られるような人間なら、狩りをやめることはないだろう。)

雄ジカは、続けて王さまに申し上げ、
「もし、さしつかえなければ、狩りをやめていただけないでしょうか。そのかわり、一日一匹ずつ、鹿を差し出すことにします。」

王さまは、この提案に戸惑いを隠せません。
(この雄ジカはなぜここまで、余を信頼してくれるのか。家老ですら、ここまでの誠実さを示すものはいない…。)

しかし、王さまは雄ジカの提案に対して、キッパリと答えました。

「確かに、殺生の罪は天地もこれを忌む。余もそれは分かってはいるつもりだ。」

雄ジカ(釈迦菩薩)は、すかさず、
「では、この提案をお受けいただけますか?」

王さまは、黙ってうなずきました。

雄ジカは、王さまに深々と敬礼をして、
「ありがとうございます。」
と申し上げ、王さまの面前を去っていきました。

こうして、釈迦菩薩・提婆達多の群れは、代わりばんこに、一日一匹の鹿を、王さまの城に差し出すことになりました。

 

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