細草書林

「疑に三種あり、一には自らを疑ひ、二には師を疑ひ、三には法を疑ふ」(日寛上人『寿量品談義』)

『鹿野苑の王さま(中)』・「釈迦菩薩の決意」(通釈第二部)

ある日、提婆達多の方の群れが仲間を差し出す順番になりました。

群れの中でその日の順番に当たっているのは、子鹿を身ごもっている雌ジカでした。

雌ジカはボスの雄ジカ(提婆達多)に申し上げました。
「今日は、本来ならば、私が国王の城に送られる順番ですが、次の鹿に代わってもらえないでしょうか?」

雄ジカ(提婆達多)はいぶかしげにその理由をたずねました。
「ワケは何だ?命が惜しいのはみんな同じなんだぞ。」

雌ジカは打ちあけて言いました。
「私のおなかの中には子ジカがいます。たしかに私は今日死ぬべき運命かもしれませんが、おなかの中の子ジカはまだまだ死ぬべきときではありません。国王との協定があるからというだけで、本来生きながらえるべき子ジカが殺されてしまう理由はありません。」

それを聞いて提婆達多は声をあらげました。
「子ジカはまだ生まれていないのだから、母親であるお前とは一心同体で、命を惜しむべきではないのだ。順番を守って今日は国王の城へ向かえ!」

雌ジカはそれを聞いて、悲嘆に暮れました。
「ああ、このボスにはまるで慈(いつく)しみというものがない。道理が立たないのに、この子に死ね、と言うのか…。」

雌ジカはしばし、考えていましたが、国王との協定を結んだもう一方の群れのボス(釈迦菩薩)のもとに向かうことにしました。

途中で、釈迦菩薩の群れを守っている若い鹿に囲まれました。
「キミはとなりの群れの…。たしか、今日は国王の城へ向かう順番ではないか?」

雌ジカは頼みこむように言いました。
「お願いだから、あなたたちのボスに会わせて!!」

釈迦菩薩は、この騒ぎを耳にするや、かけつけました。
「なにごとか!?」

雌ジカは悲しげに雄ジカ(釈迦菩薩)に訴えました。
「あなたは慈悲深い。どうか、私の訴えを聞いてください!」

雌ジカは子ジカを身ごもっていること、群れのボス(提婆達多)にとりあったが聞き入れてもらえないことを訴えました。

釈迦菩薩は答えました。
「もし、キミをそのまま城に送っていたら、それは私(釈迦菩薩)とキミのボス(提婆達多)が、キミの子を殺生するのと同じことになっていた。もし、順番でもないのに、私の群れから仲間を差し出すならば、それも道理には反している。」

若い鹿たちと、雌ジカは、目を見はり、釈迦菩薩のコトバのウラに秘められた決意が重く、強いのを知って、悲しげな声をあげました。
「ボス、それでは…。」

釈迦菩薩は、若い鹿たちに言いました。
「みなの者、私はこの母親を群れに送っていくから。あとのことは頼んだぞ。」

そう言って、釈迦菩薩は自分のナワバリをあとにしました。

もう一方の群れのナワバリまで来て、かけつけた提婆達多に、釈迦菩薩はキッパリと言いました。
「提婆よ、君に私の群れを託す。今日は私が国王の城に向かうから。」

提婆達多はおどろきましたが、釈迦菩薩は
「またしばらく会えなくなるね。」
と答えて、その場をあとにしました。

 

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